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<参考資料>

宣教方針案『解説』

  1. 経過
    宣教委員会は本教区会に議案として「東京教区宣教方針(案)」を提出し、ご承認を得たいと願っております。
    『福音伝道10年』という、ランベス会議のメッセ−ジを受けて、教区の機構改革がなされ、宣教委員会が生れました。

    • 提案に至った理由
    宣教委員会は教区にある様々な宣教の働きを、橋渡しする役割を負ってきました。
    このような働きの中で、当委員会は、教区会に「宣教方針」を提出することを決議しました。
    それは、当委員会が教区の様々な現場で既に起きている働きに関わり、応答する過程において「伝道・宣教」の理解が、不明確でまちまちであることに気付いたからです。
    この状態では、当委員会が教区の様々な現場の働きを評価し、祝福し、さらに方向性を示すという使命を果たすことができないと判断したのです。
    そこで宣教委員会では、教区が宣教においてどの方向を向き、どのような姿で進むのか、その指針を「宣教方針」として明確化し、教区で広く分かち合うことが急務であるという結論に達しました。
    その結果、昨年様々な場でその案を提示・説明し、ご意見をお聞きしてきました。
    • 「方針」と「課題」の立て方
    昨年の教区会で参考資料として提出したものと比べると、本案は短縮されたものになっています。その理由は、方針に付属していた「宣教課題」を当面、「宣教方針」から削除したことにあります。
    旧案は、方針に対応する課題を3つに分類して、教区のプロジェクトや委員会などを、礼拝・教育・社会奉仕の3つに割り振って併記していました。
    3つの領域に宣教課題を分類することは、教区の宣教課題の一覧には有効に見えます。しかし当委員会は、「宣教方針」のなかに領域的な課題の分業を明記することは、課題を領域的に固定化する印象を与えかねないと危惧をもちました。私は礼拝に、私は教育に、私は社会奉仕に、とそれぞれが自分の得意分野にこもり、他の分野は他者に任せるような傾向は教会にとって健全な状態ではありません。
    礼拝・教育・奉仕というものを、今回の宣教方針では、各分野を得意な人が担当する領域とは考えません。それを「宣教=世に遣わされる」という働きの中で、互いに関係し、相互浸透しあうものと、とらえなおすことに注意を払いました。 
    このように宣教委員会は、教区の全ての人々が、それぞれの派遣された持ち場で、礼拝・教育・奉仕を包括的に自分の課題として受け止め、独自の宣教課題を練り上げ、打ち出すことを望みます。そして委員会はこの作業を支援していきます。
  2. 内容
    1. 前文(方針の前提)について

      • 竹田主教の「宣教は派遣されること」というメッセ−ジと、それを表わす聖句。
       今回提出する「宣教方針」は、竹田主教が着任以来の教区会の主教告示で宣教的指針として強調されてきたことを、宣教委員会が応答的に読み直し、討議を重ねまとめたものです。
      竹田主教はたびたび「宣教」における「遣わされる」という動的な面の回復を訴えてこられました。当委員会はこの視点を重視し、

      「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
      <ヨハネ 3:16>
      (神による主イエスのこの世への派遣と、神の深く痛むほどの世への愛)

      「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」
      <ヨハネ20:21>
      (復活の主イエスによる弟子たちのこの世への派遣)

      という聖句を選び冒頭に冠しました。

      • 「神の派遣と私たちの応答」についての理解と、それを表わす聖句。
       また本案で、宣教委員会は「21世紀に向かう東京」という、いつ、どこで、だれと共に働くかということを強く意識しています。それは歴史にかかわり正義を実現される神の派遣と、歴史のただ中で生きる私たちの応答についての「方針」の理解を示しています。 そしてさらに、その方向性は、次の聖句によって明確化されると宣教委員会は理解します。

      「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」
      <マタイ25:40>
      • 「最も小さい者への集中」
      「最も小さい者」とは誰か、という議論も起きています。しかし、「最も小さい者」に主を見て仕えることへの集中は、この様々な苦悩を抱えた日本・東京で、教会が民衆的に信頼や支持を受けるための地道な働きであることを信じます。
      この「最も小さい者へ仕える」ことを通して宣言されるのが私たちの「福音伝道」であると宣教委員会は理解します。

    2. 方針について

    • 「宣教的霊性の養成」、
    • 「教区の全ての働きを宣教的視点で見直す」、
    • 「宣教的視点に立つこと」                   
    本年の新年礼拝でも、竹田主教は、あらゆる教区の営みにおいて「宣教的視点」に立つことを強調しながら「宣教的視点を持つとは、色々な状況で、『主イエスはまずどこに目を向けられたのか』ということに留意して行動すること」と述べられています。

    さらに竹田主教は、次のマタイの聖句

    「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
    <マタイ25:40>
    を援用し、教会の内外を問わず「最も小さな者」が誰かを考えて、まずそこに行って、仕えることが主イエスの視点で行動することと示されました。

    そこで、宣教委員会は

    「全ての教区の働き、礼拝、教育、奉仕などを、最も小さい者との出会いにおいて見直す」

    ということを「宣教方針」の中心に据えます。
       
    以上のことは、教会の伝統的な「霊性」(信仰者の行動を方向づける信仰の姿勢)という言葉を用いれば、「宣教的霊性の養成」を目指していると言うことができましょう。
    このことは、宣教(遣わされる)という視点で、これまでの教会の「自らに留まり完成していく霊性」の刷新を目指していると言えます。
    • 重点活動としての「聖書の学び直しと祈り」
    宣教委員会は、「最も小さい者との出会いにおいて、聖書を学び直し、祈ることを」を「宣教的霊性への刷新」における重点活動と見なします。
    初めて聖書を開く人や、教会員であっても、これまで様々な理由で、ゆっくり聖書を読む機会を持てなかった仲間と共に聖書を読む交わりを、色々な場で小さな形ででも広げていくことが大切です。
    一番大切なのは、この世で苦しみ救いを求めている人が、この交わりの中心に招かれることです。
    そしてその場が同時に祈りの場として用いられることなのです。
    • 宣教的な体験と教会の伝統的礼拝・サクラメントの出会い
    教会の伝統は、宣教的な体験と出会い、豊かにされ刷新されるでしょう。
    また世における宣教的体験は、教会の伝統に出会い、潔められ祝福されるでしょう。
    • 教会の成長への期待
    これらの出会いと再派遣という循環において、私達の教会全体が成長させられることを信じます。