私の戦争体験
- 『平和を祈る夕べ』 証 言 -
聖ルカ礼拝堂 土山 幸子
昭和20年の3月10日未明、B29による東京下町地区に大空襲がありました。
そして一般市民約10万とも15万とも言われる尊い生命が失われました。
灯火管制下で殆ど真っ暗に近い東京の空が、大型の何万発もの花火でも及ばないほどに真っ赤に変貌し、深川木場地区には大火災が起き、逃げまどう人々が血と死骸の隅田川に飛び込んだりしていたそうです。
3時〜4時頃になって、築地の聖ルカ病院にも次から次にどんどんと負傷者が搬入されてまいりました。
全員が大きな怪我を負った方であり、その大半は15〜19才の学徒勤労挺身隊の青少年たちでした。
防空団員の50才を越えた人たちが、これらの負傷者を担架に乗せてどんどん運びこんで来られました。
本当に次から次へと運びこまれたのです。
当時の橋本委員長が
「二千人を越す負傷者が運ばれて来た。」
と仰っておられたのを聞いています。
次の朝、病院の東側入口に大きな掲示板が立てられ、800名以上もの亡くなられた方々のお名前が張り出されていました。
私は卒業寸前とはいえ、まだ看護学生でした。
当時は看護学生といえども、空襲警報があれば夜中であろうと、何時であっても、直ちに受持ちの病室に行き、患者さんの避難の準備をする事が義務づけられており、夜中に何度となく起こされたこともありました。
4時ごろになり、大勢の負傷者が運び込まれて来ました。
チャペルの前のロビーは、二本の丸太の横棒の上にベニヤ板を乗せただけの急ごしらえのベッドに布団を敷き、上には毛布を掛けるといった病棟に変貌し、35人の重症者ばかりが運びこまれてきました。
最初の17才の男子学生は、右腕がすっ飛んでおり、そのもぎ取られた後は泥が血まみれになっており、あまりにも酷いのでモルヒネを注射しようと思いましたが、どの患者さんもみんな大変で、35人に5本のモルヒネを誰から注射をしようかと悩んでしまいました。
翌早朝、最初の17才の学生が亡くなりました。
「どうして、どうして、痛みを少しでも和らげて上げられなかったのか?」
と自分を責めました。
もう一人の17才の学生の男の子は、ご両親が付き添っておられました。
爆撃の時大きな樹木が倒れてきて「内蔵破裂」ということでした。
夜になった頃「天皇陛下万歳」と大きな声で叫びながら息を引き取っていきました。
私は、何故「お母さん」と呼べなかったのだろうか、17才の少年までが「天皇陛下万歳」と叫びながらでないと死ねないのかと、戦争の酷さをつくづく感じました。
ほとんどの方が大火傷で、からだの大半以上に火傷を負っておられました。
小学5年と2年の兄弟がおりました。
2年の子は全身火傷で来院後間もなく死亡しました。
5年の兄は顔面と両手両足に重度の火傷がありました。
幸いなことに生命には支障がありませんでした。
彼は、
「自分たちは、家は焼け、両親も他の兄弟もみな死にました。弟と二人だけになりました。弟のベッドの側に自分も行かせてほしい。」
とねだっていました。
「弟が死んだ」ことなど、とても言えませんでした。
顔、手足の傷も快方に向かい、小児科病棟に移った時、弟のことを話しました。
しばらく悲しんで泣いてばかりいました。
彼は自分の傷痕がひどかったので、
子供の頃の写真を見せては
「これが僕の本当の顔だよ。可愛いでしょう。」
と幾度も幾度も見せてくれたのが思い出されます。
戦争は、国と国との問題でしょうが、女・子供は悲しい思いをさせられているのです。
戦争は、人の心を駄目にします。
どんな無残な惨殺行為をも後悔なく行ってしまうのです。
LSDを飲ませて前線に投入したとか、覚醒剤を注射して爆撃に行ったとか、いろんな話を聞かされます。
日本軍人による朝鮮半島・台湾・中国などにおける惨殺・残虐行為はあまりにも有名ですが、南京をはるかに越える惨殺行為がフィリピン・シンガポールにおいても、ドイツナチスのアウスビッツの惨殺と並べられる位、否それ以上ではないかと言われるような惨殺・残虐行為があったと聞かされています。
警視庁をはじめ各地の刑務所や留置場では、幾人ものキリスト教信者や牧師が「スパイ・非国民」だのと言って殴り殺されています。
もし日本が戦争に勝っていたらどんな世界ができているでしょうか。
考えるだけでも肌恐ろしい思いがいたします。
日本占領と同時に、アメリカのキリスト教協議会の人たちは
「日本の子供たちを救おう」
とかつての敵国日本の子供を飢えから救うために、政府と軍を動かし、極秘裏に育児用の粉ミルクをアメリカの乳児の分を割いて、カナダを経由して(戦時中アメリカの乳児の割当が少なかったため、もしものことを恐れてアメリカの港からでなく)大量に送ってくれました。
こうした「キリストの愛」によって、今の日本人が生存し得ていることを知らされる時に、私たち日本のキリスト者は、今、世界平和のために何をなすべきなのでしょうか。
祈りましょう。
主に感謝。