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| 日本にいる外国人、日本で暮らしている外国人をですね、おおざっぱに178万人と去年末の現在で計算しましたが、これは単純に外国人登録をしている人の数にオーバーステイになっている、超過在留をしている人の数を足したものです。 その中身を見ていきますと、そのうちの59万人、だんだんこれは減っているんですが、いわゆる「オールドカマー」と言われる在日韓国・朝鮮人、中国人。 この部分ですね、この一番新しい層の前の部分ですね。 この人達は歴史的な経過から言うと、とうの昔に日本国籍が取れてなくちゃいけない。 つまり日本の国籍法が血統主義ではなくて、あるいは同じ血統主義でも、もうちょっと開かれたものであれば、もう二代目三代目位になってまだ外国人ということはあり得ません。 ハラボジ、ハルモニの代に日本に来ているのに日本国籍を取るには、「帰化」という屈辱的な制度で、高いバリヤーをクリヤーしなければならない。 そんなんなら別に日本人になりたくないや、というのはあたりまえです。 自尊心がありますから。そういうことで外国人のままでいる。 日本の国籍制度が「市民権」という考え方を持たない閉鎖的なものであるために、親子代々、末代までも外国人のままで置かれるという、そういう部分です。この部分は歴史的にちょっと事情が違うんですね。これに対して、それ以外の「ニューカマー」と言われる人達というのは、だいたい80年代からドッと来はじめているんですね。その切れ目が非常にはっきりあるわけですよ。 ですから、「オールドカマー」「ニューカマー」というような呼び方で同じ平面で考えるわけに行かないところがあるわけです。 この人々の数が約119万人ということになる。 この辺の数字はあんまり細かく言ってもしょうがない、というのは、これは外国人登録者と、オーバーステイという風に、固まった数字になっている人達だけ数えていますから。 でも日本に来てすでに働いているけど、外国人登録もしてないし、オーバーステイにもなっていないという人達がまだいるわけですから、この上に、相当上積みされなければならないんですけれども、まあ大まかに、定住傾向が強くなっている人達というのは、このなかにいると思います。 ここにありますこの図は私が作ったものです。 これは毎年「在留外国人統計」というものを入管局が出していて、それを元にしています。 入管法の在留資格が、在日韓国・朝鮮人の特別永住というものを含めて28種類あるんですが、その28種類の在留資格で分けてみても実態はなんにも分からない。 というのは、その在留資格が決して実情を反映してないんですね。 つまりそんな28種類もいらなくて、「労働」という在留資格があれば5〜6種類で終わっちゃうわけです。その「労働」というのを出したくないばっかりに、例外だけを拾って在留資格にしているので、こういう風に28種類にもなっちゃったということなんです。 それでむしろ在留の実態に従って分類し直してみると、ここにあるような数字がでてくるわけです。 一番大きなグループがオーバーステイのグループです。 働きに来るんですけれども、日本では、労働という在留資格がありませんから、主として観光ですが、「短期滞在」というビザで入って、普通は3ヶ月、延ばしても半年で帰らなきゃいけないのを、そのままずっといてしまうという人達がオーバーステイですね。 ここで皆さんに是非辞書を書き換えていただきたい。 入管用語ではこの人達は「不法残留」というんですよ。「不法」に残留しているというのはものすごく悪い人という印象ですね。 国会議員と話している時に「不法だからねえ、やっぱりそんなんじゃ良くないんじゃないか。」と、よく言われます。そこで「不法残留」と言わないでオーバーステイと言いかえています。 確かに入管法上の在留期限を過ぎているのは事実ですが、「不法」というと凄く悪いことをしているようだけど、たまたま、受け皿がなかったからこぼれただけで、悪いことは何もしていません。 労働法上では、ちゃんと保護されるような、ちゃんとした活動をして給料を取っているわけですよ。 「オーバーステイ」というとホームステイとあんまり変わらない印象になります。 あんまり使っているとそのうちに差別性を持ってくるかも知れませんが、今のところはまだ、ホームステイとあんまり変わらないニュートラルな言葉です。 この人達は、法律からはみ出た形で働いているわけで、この人達の出会うトラブルというのはすごく大きいわけです。 ただ93年というのはひとつの天下分け目の年で、この年、入管と警察が全国でもって一斉に手入れをしてオーバーステイの外国人をたたきだそうとしました。 よく知られている代々木公園にイラン人が作り出した非常に面白いエスニックな空間、あれはこれからの日本の将来にとって本当に貴重な実験だったと思いますよ。 自然発生的にイラン人がそこに集まって来て、日曜日になるとイラン人の町がそこにできたと。 そこへ今度は日本人の若者達が面白がって入っていって、そこで仲良くなちゃって、勿論労働相談を始めたグループもありましたけれども、ホコテンなんか歩いている、いわゆる原宿あたりをのし歩いている日本の若者達が、そこへ入っていって、そこで交流ができていっちゃう。 非常に面白い空間になりかけたのですが、日本人の若者達が入っていったとたんに警察がそこへ入って、そこを弾圧してなくしちゃいました。 ものすごく大事な宝物を踏みつぶしたと思いますけれども、そういう弾圧が始まったのが九三年です。 それから少しずつ減りますが、しかし増えるときのように劇的には減りません。 やはりなだらかに、やや減り気味ですけれども、みんなで頑張って何とか食いつないでいる、という状態で、去年末現在が20万1000人ということですね。 |
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