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お前たちはエリートだ

聖パトリック教会 久保田 正光

 今から五〇年前、私は戦時体制下での中学生活を送っていました。

 軍国主義教育の下では
「一日も早くりっぱな軍人になって国のためにつくす」
という教育が徹底して行われ、若い私たちはそれに対していささかの疑念もさし挟みませんでした。
 
 私は海軍兵学校を受験し、一九四五年4月から敗戦まで兵学校で生活しました。
兵学校入学前の一年間の中学生活は勤労動員で、毎日工場に通って工員と同じ仕事をし、月に二回だけ学校に行き、午前中授業、午後は軍事教練という状態でした。
ところが兵学校では、授業はビッシリ六時間あり、放課後は分隊ごとに各種のスポーツを楽しみました。
食事なども豪華で天皇誕生日や海軍記念日などには大きなビフテキまで出るほどでした。

 兵学校の分隊付きの教官から常に言われたことは、
「お前たちはエリートなのだ。一日も早く優秀な海軍の指導者になって国を守れ」
ということでした。

 戦争が終わって思い知らされたことは、兵学校の、当時としてはぜいたくな待遇は、一般国民の犠牲の上に成り立っていたということです。
 東京に住んでいた私の家族はごくわずかな配給の食料で飢えに耐えていたのです。

 端的な例を挙げれば、東京の人は軍から命ぜられて、いざ空襲の時に逃げ込む防空壕をつくっていました。

 しかし四五年3月の東京の下町大空襲の翌日、私が深川に行ったとき、道端の防空壕の中に真っ黒に焼けただれた死骸を見ました。
逃げ込んだ人は無残にも焼死したのです。

 兵学校の校庭にも防空壕がありました。
何と厚さが一メートル以上もあるコンクリートに覆われ、入口もカーブして爆風が防げるようになっていました。

 当時の軍の上層部はこういう防空壕でなくては安全は保たれないことを知っていたのではないでしょうか。
それなのに、一般国民にはチャチな防空壕作りを命令していたのです。

「お前たちはエリートだ」
という考え方は
「日本人はエリートだ」
ということにつながっていたと思います。

 当時、大東亜共栄圏建設と言うことが戦争の目的として掲げられていましたが、
「神国日本=優秀な日本人が、劣ったアジア人を助けてやるのだ」
という思い上がりがあったことは否めません。

 現在、日本がアジアの人々に対して、戦争中の過った行為を謝罪することに及び腰なのは、経済面でアジア諸国にまさっている日本人が、いまだに誤ったエリート意識を持っているからではないでしょうか。

 私は数年前、神崎司祭に同行してフィリピンのパナイ島の山村の教会を訪問しました。
神崎司祭は挨拶の冒頭で戦時中の日本軍が行った数々の暴行について謝罪しました。
その後一人の老人が私に
「俺は日本の兵士が赤ん坊を空に投げ上げ銃剣で突き刺したのを見た」
と言いました。

 思わず息をつまらせた私に「でも、あなたたちとは今後は仲良くしよう」と続けました。

 戦後五十年の節目を迎え、過去の過ちを率直に謝罪してこそ、新しい友好関係が築けるものと痛感しています。


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