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日本軍の侵略による犠牲者三世からの証言

- 『平和を祈る夕べ』 証 言 -


カパティラン  アグネス・バレステロス


 私が日本に暮らし始めてから二年半が過ぎようとしているにもかかわらず、私の母は電話で話す度に日本を離れるようにと言い続けます。
母は私の滞在中一度も日本を訪れていません。
私が他の国におりました時には訪ねてくれましたのに。
フィリピンに常時住んでいるフィリピン人が日本大使館からビザをもらうのはたやすくないという事実に加えて、母にはこの国を訪ねたいという思いがまったくないのです。

 日本軍が母の故郷の町を占領した時、母は九才でした。
その時母は彼女の叔父の残忍な死を目撃しました。

セブ島にあるカルカルと呼ばれる小さな町で、他のフィリピン人たちと共に叔父は生きたまま埋められたのでした。
正座をさせられ軍人たちに憐れみを乞うように両手を組み合わせた恰好のまま..。

一方で母の祖父はきちんとお辞儀をしなかったという理由で一人の日本の軍人に60回も強打されたのでした。
その上ツメを剥がされ殺されたのでした。

これらの出来事は母にとってぬぐい去ることのできない記憶です。
憎しみの傷を彼女の心に残しました。

母にとって娘が長い間、その日本で宣教師として働きたいという願いを持っているということはどんなに信じがたいことであったことでしょう。
日本軍がフィリピンを侵略し、フィリピン人を虐待し、殺した戦争の犠牲者から私は三代目にあたります。

私は祖先たちが抱いていたと同じ傷を持って日本に来たわけではありません。
しかしごく最近になってある日本のやり方に怒りを感じるようになってきました。

 この50年前の古い話しを今日のフィリピン人と日本人の社会的現実にあてはめた時に、国家のレベルのみでなく、個人のレベルにも虐待と差別のパターンが見えるのです。

この時と時代にあっても、ある日本人は自分たちが隣のアジアの人々より優れていると思い続けていることに気づく必要があります。

カパティランというフィリピンからの移住者たちのためのカウセンリング・オフィスでの仕事を通じて、私は日本人の夫による、また姑、舅による、あるいは雇用者、果ては公的な機関によって与えられている苦痛に繰り返し直面します。
この話を始めるとそれだけでも一時間以上の討論を必要としますので、ここではこれ以上は申し上げません。

 戦後50年を覚え、また恐ろしい破壊についての大変多くの議論とともに私は将来への希望に目を向けたいと思います。
日本軍による侵略の記憶、また今日の日本の企業によるフィリピンの自然資源の搾取という現実がありながらも、フィリピン人は自分たちと日本人との関係を断つことはできません。

私たちの国は地理的に隣合っています。

1986年から91年の間に届け出のあった日本人とフィリピン人の間の結婚件数は二万件です。
この婚姻関係から約一万人の子どもが生まれています。
これには日本人の父親に棄てられた約二万人の子どもたちの数は含まれていません。

また日本の大企業、小企業に雇われているフィリピンの移住労働者は大なり、小なり経済の発展に貢献しています。

私たちは調和のうちに暮らす方法を見つけなければなりません。
フィリピン人たちが日本人のやり方に学びつつ適応してきたように、日本の人々も適応する方法を学ぶことができるのです。
私たちの文化から学ぶことができるよう心と思いを開いてください。

フィリピンでは今年、日本軍の侵略による犠牲者を覚え、その栄誉を讃えています。
マスメディアは当時の拷問の犠牲者で幸いにも生き残った人々の声を伝えています。
どうぞ彼らの話に耳を傾けて下さい。

しかしながら思い出すだけにとどまっていることはできません。
日本の経済的搾取や文化的差別の犠牲になっているフィリピン人たちの中で、彼らの苦しい経験が新しいいのちに甦る時に、真実の栄誉が与えられるのです。
この時代の犠牲者の物語も聞いて下さい。
彼らは50年前と同じ痛みと怒りを叫んでいます。

 この人々は私たちの中に住んでいます。
名前も記録されずに、それゆえ搾取の対象となっています。
家族や隣人から常に差別されている日本人と結婚した人々、学校で差別されている日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもたちです。

これらの人々に私たちが耳を傾け、共感し、今日の侵略、暴力の形を無くしていくよう行動しなければ、50年前の戦争の犠牲者は紙の上に命のない名前としてむなしく残るにすぎません。
日本以外のアジアの文化から学ぼうと自分を開く決心をし、移住者に対するすべての形の搾取や差別とたたかうよう行動した時に、過去の犠牲者の苦しみが変革と解放につながります。

そのことを通して、真実の栄誉が戦争の犠牲者たちに与えられることになるのです。


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